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『生田蘇州創立22周年感謝の集いプロジェクト』が開催されました

11月1日、中国蘇州にて、生田(蘇州)精密機械有限公司の創立22周年を記念して「生田蘇州創立22周年感謝の集いプロジェクト」が開催されました。

当日の様子を撮影した動画と弊社社長生田泰宏、生田(蘇州)精密機械有限公司 総経理 金井勇のスピーチを掲載いたしますのでご覧ください。

生田蘇州創業22年記念式典 お祝いスピーチ

先ず初めに、2002年に生田蘇州の看板をここ蘇州の地に掲げて以来、この生田蘇州の発展を支えてくれました、金井総経理はじめ、ここにお集まりの中国、日本の生田社員の皆様に心より感謝とお祝いを申し上げます。そして皆さんは素晴らしい仲間であり家族です。私の誇りです。今朝、工場で集合写真を撮った際に、更にその思いが溢れてきました。

     

そして何よりもこの生田蘇州が誕生する、奇跡の出会いとなった、大恩人の白川寧鉄さんが1997年に生田初の外国人社員として、中国人として工学博士として入社し、勤続27年69歳の今も元気で、現役で後進の指導に当たり、この式典に一緒に参加できたこと。何よりもうれしく偉大な出来事です。寧さん、ありがとうございます。

     

金井総経理が無名の小さな会社の生田で働くことを決意してくれたのも、白川寧鉄さんがいてくれたからです。またその陰には残留孤児として苦労の上に、3人の子供を立派に育てたうえで、日本への帰国そして京都での生活を決断した、金井総経理、良子さんを育てたお母さまの存在が大きいと、感謝申し上げます。お母さま、ありがとうございます。

       

また、忘れてはならない本社生田、蘇州生田の最大の功労者。15歳から生田で働き始め82歳の今日まで、生田のモノづくり、蘇州のモノづくりの親である中岡さんもこの場に一緒に居られることに感激しています。中岡さんは中国進出の決断の時に、一番反対されて、中井さん共に断固とした反対の態度でありました。しかしいざ、決断すると誰よりも真っ先に、若かりし頃の金井総経理と中国へと向かってくれました。顔が似てない親子のようでした。以降蘇州のモノづくりを支えること20年間にも及びました。1か月前には大きな手術からも復活しました。中岡さんは不滅です。ありがとうございます。

       

その中岡さんと初めて中国蘇州に渡ったのは進出前の1997年ごろだったと記憶しています。

      

H社様向けの面削フィードロール12本の製作を台湾M社様蘇州工場経由で依頼しました。品質、価格、納期調査が目的でした。当時は新幹線も高速道路も上海から蘇州まで開通しておらず、ロバや荷車が行きかう大変な悪路でした。中国で見るもの聞くものすべて驚きの連続でしたが、二人とも好奇心がありましたので、特に蘇州の夜に誘われるままに、怪しげな人力自転車にのり危ない場所への誘いを断るのに必死になったのも、古く懐かしい蘇州の思い出です。

       

そして、もう一人、忘れてはならないのが、蘇州を愛し、蘇州の社員とよく飲んで、遊んで、生和蘇州のためにも尽くしてくれた生田雅哉さんも、ここに居てほしかった。でもここに一緒にいます。喜んでくれています。奇しくも、今朝の工場見学で雅哉さんが設計したテンションリールが組みあがっているのを見ることが出来ました。雅哉さんありがとう。生前の雅哉さんを忍び、少し黙とうを捧げたいと思います。

そして、もう一人の恩人、蘇州に3年間駐在した薮下さんも生田蘇州の技術発展に尽くしていただきました。薮下さん、忘れていません。二人に黙とうをしましょう。

    

今でも創業の頃を鮮明に覚えています。開発間もない蘇州園区のマンションの一室を借りて金井さん、中岡さんが暮らし始めてスタートした事務所には、まだ幼い顔をした、可愛らしいエンさんが手伝いとして懸命に働き、掃除も料理も作ってくれました。まるで、中岡さんの娘さんのようでした。そのエンさんも今では立派な母親でもあります。それ以降、エンさんは今では蘇州の22年の歴史のことをすべて知ってくれて、蘇州の大黒柱として金井さん、中岡さんを支えてくれました。創業第1号社員エンさん、ありがとう。

      

2002年の創業初年度から、F社様無錫工場から仕事をいただく幸運のスタートでした。当時、潤沢な資金がないままの進出でしたから、契約の際に中井さんの必死の価格交渉で前金をいただくことが出来て、スタート出来た、内心ホット安心したのが裏話です。しかし、苦難地獄の始まりでもありました。蘇州の新人社員が工場に集まりました。その中の一人がチュウさんです。中岡さんの日本語のみの指導で、言葉がちんぷんかんぷんのままであっても、人を育てる魂こもった中岡イズムの指導は徹底して、中井さん、稔さん、塩見さんはじめ日本から製造協力に渡った日本人社員と共に昼夜なく、エアコンなく灼熱地獄の小さな工場でしたが、見事に仕事をやり終えて、中国、日本イクタのモノづくりの橋が架かり、その後の中国でのモノづくりへの自信につながったと思います。その後、日本語のできる小ファーが入社して、以来、中岡さんの通訳兼、次女として中岡さんを支えてくれたとともに、日本本社との連絡を金井良子さんとともに担ってくれました。

     

そして、蘇州のモノづくりの揺るぎない品質に大きく貢献したのが、生和技研の設立です。

     

セイワ工業の東社長は本日残念ながら出席が叶いませんでしたが、東社長の友情と果敢なチャレンジのおかげで、蘇州工場に溶接グループと5面加工機が導入され飛躍的品質向上が果たされました。3台目となった最新の5面加工機の導入が雅哉さん最後の仕事となりました。その意志は石さんを始めとした生和社員に引き継がれている姿を今日、見ることが出来ました。本日は東輝彦専務がお越しです。ありがとうございます。

流れゆく歳月の中に、政治的な事由から交流の困難な時期が何度かありましたが、生田本社と蘇州生田のモノづくりの橋は強固で堅牢でありました。そして蘇州社員の成長と不断の努力、日本本社社員との協働の結果、中国の名だたる伸銅各社からの注文が相次ぎました。

      

今日、日本から参加している塩見さん、那谷さん、山口さん、西村さん、小西さん、松岡さん、田村さん、たちも蘇州の李(きい)さんを始めとする蘇州社員と共に中国の辺境の地にある工場で苦心惨憺のなか装置の立上げに努力してくれました。

       

「モノづくりは人づくり」に根差した社員への信頼があり、社員を家族のように思い、社員の成長を後押しする社風文化があってこその結果だと思います。

       

この社風をイクタグループ社員誰もが大切にし、生田のモノづくりに魂を込めて「育とう、育てよう、育ちあおう」を続ければ、これから100年先も存在し、必要とされ続けるでしょう。私の人生に、あなたの人生に、家族に幸せがもたらされます。

     

中国進出の原点を思いだしました。

     

2000年のK州銅材工場への訪問です。中井さんと、金井さんと、私が訪問しました。

     

そこで奇跡が起こりました。1950年代製造の生田製カッター研削盤が工場見学のその現場にあり、動いていました。衝撃的な出来事でした。創業者の祖父、父そしてその当時の職人さんが小さな町工場で製作した機械です。50年も前に製造された生田の機械が精密に動いている。それも中国の地で。父に導かれた運命であり、私の天命、使命と感じました。そこにいた、まだ30歳の金井さんにとっても運命的となりました。

     

そしてもうひとつ忘れられない光景でした。

      

蘇州設立前の2001年に蘇州からローカル列車にのり面削装置の営業に寧さん、中井さんとB湖銅工業に出向きました。5月頃でした。その汽車の窓から見えた黄色の菜の花が一面に咲く光景をいまでも鮮明に覚えています。心から美しいと感じました。広大で、肥沃で未来への可能性が芽吹き始めた中国大地で、必ず生田の花を咲かせると誓いました。

    

あの日から22年。

     

中岡さんが81歳、中井さんが76歳、寧さんが70歳、私は63歳、稔さんは61歳、金井さんは53歳。日本と中国の次世代へのバトンはここに集う社員たちへもう引き継がれています。

     

昨晩の前夜祭パーティーでその光景を見ました。うれしかった。

     

技術では李(きい)さんと那谷さんから王茂さんへ。

    

製造では中岡さんから塩見さん、チューさん、松岡さんへのバトンです。

     

そして、最後にこのような生田蘇州20周年の式典懇親会を壮大なスケールで企画、運営演出をしてくれた創業期メンバーの周さんをリーダーとした蘇州社員のセンスと努力に心より敬意を表します。すばらしかった。

    

ここで生田本社から蘇州22周年のお祝いの品をご披露します。

    

この屏風絵は蘇州と京都を象徴する絵が描かれています。その蘇州と京都に吹く風に乗って七福神が生田蘇州と生田本社の発展と安寧を願って行き来しています。また蘇州工場と生田本社も描かれています。この手描きオリジナルで描かれた壮大な屏風絵を22周年の記念の品としてお贈りしたいと思います。

      

イクタファミリー企業の永続的成長と繁栄と、そしてイクタに集う社員とその家族一人一人の幸せのために会社はあり続けるという、強く固い信念を約束して私のお祝いのスピーチとします。

       

生田産機工業株式会社 代表取締役 生田泰宏

2024年11月1日

生田蘇州創業22年記念式典 お祝いスピーチ

尊敬なるご来賓の皆さま、そして、本社から共に祝ってくださる社員の仲間たち、今日生田蘇州精密機械有限公司創立22周年の記念に当たり、生田蘇州、生和蘇州、生田貿易の社員たちと一堂に集まり、この喜びと感謝の気持ちを持って、貴重な瞬間をお祝いしたいと思います。

       

まず、生田中国の代表として、長い間、生田の成長と発展を支えてくださった全ての関係者の皆様に深く御礼を申しあげます。この22年間には、生田蘇州は本社の「天命に従い、人事を尽くす」三方良しの創業精神に従い、数多くの困難を乗り越え、今日の成績を築き上げてきました。創業精神に述べているように、我々は常に中国市場の動向と伸銅業界のトレンドを察知し、中国市場のニーズに合わせて、製品開発とコストパファマンスを活かして、お客さまに満足してもらえる設備を送り出し、信頼を得ることができました。お陰様で「IKUTAブランド」を中国伸銅業界において確立することができ、中国の伸銅業界の発展に不可欠な企業と技術になりました。

      

「モノづくりは人づくり」という本社からの教育を受けて、「育とう、育てよう、育ちあおう」の精神に基づき、定期的に本社との交流と訓練を実施して参りました。結果、蘇州の設計、組立、加工技術など、日本とは、まだまだ差はありますが、ここ近年は、ほぼ日本製に近い品質に近づくことができ、日本のお客さまにも お褒めの言葉をいただけるようになっています。また、次世代人材育成のため、定期的スタッフの能力UPのための訓練と勉強会を実施し、チームの結束力とコミュニケーション能力を強化しています。

     

三方良し、顧客、取引先、スタッフ、社会の三方の利益を均衡に考慮し、共に繁栄を収めることを目指しています。我々も常に顧客の満足度を最優先に考慮し、社員の福祉を重視し、社会的責任を自覚的に履行し、企業の継続的な発展を促進しています。

     

今日我々はこの創業精神に引き続き、生田蘇州の未来を共に築き上げる責任を誓います。これまでの成功と実績を誇りに、未来への挑戦を勇敢に立ち向かいたいと思います。我々は常に技術の革新とともに、市場のニーズをより満たすために日々努力していきます。

    

さらに、私たちはこの感謝の気持ちを忘れてはなりません。

    

「感謝」とは、長い間我々支援をしてくださった顧客とパートナーに値します。

     

「感謝」とは、我々の背後で黙々と支えてくれている家族と友人に値します。

    

そして、最も重要な「感謝」はこの会場にいるすべての同僚に値します。

         

皆さまの献身な努力により、今日の生田蘇州があります。本当に有難うございます。

        

最後に、生田蘇州精密機械有限公司創立22周年の記念を祝い、我々は共に未来に向かって、希望と夢を抱き、挑戦し続けるこの時を迎えています。そして、より輝かしい明日を築き上げるために日々精進し努力してまいります。

       

有難うございました。

     

生田蘇州精密機械有限公司 金井勇

2024年11月1日

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