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「天命に従い人事を尽くす」

IKUTAグループ 株式会社京ウィンド 渡辺千裕社長誕生の歩み

SPECIAL COLUMN

弊社の子会社である株式会社京ウィンドの代表取締役社長・渡辺千裕さんが、私生田との出会い、生田産機工業での仕事、そしてこれからのことなどをショートストーリーふうに綴ってくれました。よかったら、ご一読ください。

バブル崩壊により勤務先倒産

「エッ、ウソでしょ!?」2000年の夏、私が10年勤めた信用金庫が倒産した。同僚たちと「信じられない。どうしよう!?」と言い合ったが、実は内心予想していた。バブルのピークが過ぎ、1993年ごろから世の中の景気が明らかにおかしくなっていたのは感じていたから。バブル崩壊後の金融危機が暴風のように世の中に襲いかかり、大手の都市銀行や証券会社でさえ悲鳴を上げている状況で、私が勤務していた小さな信用金庫などひとたまりもない。
当時、私は31歳。次の仕事を探したが、簡単には見つかるはずもなかった。それは、当然だろう。バブルがはじけ、世の中には仕事を求める人があふれていた。信用金庫以外の仕事経験がない私に、他人と競って勝てる有利な条件などない。

旧社屋イラスト
旧社屋イラスト

就職先が見つからず、もう勤務条件や待遇など言っていられないと、様ざまな業種で手当り次第仕事を探していた時、ふと生田産機工業の求人募集広告が目に止まった。製造業とあるからきっと何かをつくっている会社なんだろうなくらいの認識で応募した。
運良く書類選考をパスした私は、2000年9月のある日、桃山御陵前駅から徒歩20分のところにある生田産機工業に面接のために訪れた。大手筋はにぎやかな商店街だと思っていたが、地図を見ながら西の方向に歩いて行くといつのまにか商店街を通り過ぎ、にぎやかさは姿を消した。あげくに新堀川通も終わっている。信号もない雑草だらけの道の向こうに生田産機工業はポツンと佇んでいた。その日は夏の暑さが残っており、20分も歩いたのと、お世辞にも立派とは言えない生田産機工業の社屋のせいで私は汗びっしょりになった。

生田社長(2000年頃当時)
生田社長(2000年頃当時)

この暑い中せっかく訪ねてきたのだから「話だけ聞いてみよう」と生田産機工業の門をくぐった。外観は古めかしいが、2階建ての社屋の中は整然としていた。通りがかった女性社員に訪問した旨を話したところ、応接室に案内された。以前私が勤めていた信用金庫の美しい応接室とはまったく違い、椅子とテーブルは置いてあるものの、半分は作業室のような雰囲気だった。
どんな人が来るのだろうと椅子に座って待っていると、「お待たせしてすみません」と一人の若い男性が入ってきた。「はじめまして、生田です」。渡された名刺には、代表取締役とあり、最初の面接に社長自らが登場したことに驚いた。
社長はこれから会社を良くしていきたいという思いを熱く語った。私は前職のことや志望動機など、おそらく面接で聞かれるであろう質問の答えを準備していたが、ほとんど聞かれずに面接は終了した。
ひたすら会社のこと、社員への思いを熱弁する社長に「なんという人だ」と一種のカルチャーショックのようなものを感じながらも、感銘を受けた。帰り道で思ったのは「あの社長の下で働いてみたい」。その日から私の運命は大きく変わった。

生田産機工業に就職でき、私は業務部に配属された。信用金庫時代は、5階建ての快適なオフィスでお茶くみ、コピー取り、ワープロ入力をして、5時に鳴る終業のチャイムを聞きながらさっさと帰宅する毎日だった私の生活が一変した。
私が入社したタイミングに合わせたかのように、社長は社内の改革に着手。TKCによる自計化や社内報制作、ホームページ更新などの仕事を次つぎと私に課した。私にそれらの仕事の経験はない。初めてのことばかりで、専門用語はわからず、使ったことのないソフトと格闘しなければならなかった。残業時間は増える一方だったが、負けん気の強い私はチャレンジすること、成長することの楽しさのほうが大きかった。難易度の高い仕事であればあるほど達成感を感じた。人から頼られ、自分なりの方法でチャレンジし、認めてもらう。この時の経験と醍醐味は、現在の私の大きな財産になっている。

  • 第49期経営方針発表会
    第49期経営方針発表会
  • 目黒章布先生と生田社長
    目黒章布先生と生田社長

社長が着手した社内改革の中で、最も印象的かつ大変だったのが、「自計化」である。
それまで会社の業績は、1年に1度の決算期にならないとわからなかった。つまり、社員一丸となって努力した結果、赤字か黒字か判明するのが決算期。仕事は、ギャンブルではない。1年ぶりの結果に一喜一憂するのではなく、常時自分たちで数字を把握すれば予測することも対応策を講じることも可能になる。そのために会計システムTKCを導入し、自社で会計を行えるようにしたい、つまり自計化するというのが社長の願いだった。
社長の思いは理解できるものの、信用金庫にいたにもかかわらず残念ながら私には企業会計に関する知識と経験はほとんどなかった。そこで、モラロジー本部で経営指導をしていた会社会計のエキスパート、目黒章布先生を年明けから顧問として迎え、会計システムTKCの設計、カスタマイズに着手。2001年4月から自計化を開始し、膨大な仕訳入力を行いながら、ようやく1カ月後に初の月次試算表を作成できた時は心が震えるほど感動した。
そして、5月に初の経営方針発表会開催。経営方針を社員に伝え、その方針に沿って各部門、各人がどう取り組んでいくかを皆で共有する。さらには外部の関係者、特に取引金融機関にしっかりと伝えて支援してもらうという目黒先生の教えはこの時にスタートし、今も続いている生田産機工業の伝統といえる。
このほかにも「会社は利益をどうやって出していくのか」という会社経営の根本的な部分や資料の作成方法、ノウハウなど、教えていただいたことは今も活きており、目黒先生には感謝しかない。

風力発電
風力発電

2005年、新事業として環境配慮型新製品風力発電機開発が始まった。現在その事業は行われていないが、生田産機工業が独自に風力発電機を開発した。技術的な知識のない私がこのプロジェクトメンバーに抜てきされたのは、デザインやソフト面など技術以外の要素を入れたいという社長の思いからだった。
業務部の仕事の枠を越え、営業担当として他社と様ざまな打ち合わせを重ねた。自分の世界が大いに広がった反面、ほとんど利益の出ないPR的事業に反対する社員も少なくなかった。どうしたらその人たちに協力してもらえるか。プロジェクトの価値や意義の説得、そして進め方にはかなり悩んだが、やると決めた以上やり続ける自分を発見した。知らないことはたくさんあり、挑戦しながら知識を増やしていくことは苦にならないどころか、喜びを覚えるようになった。いま考えても貴重な経験といえるだろう。

新社屋建設に当たって

◆新社屋コンセプト

「響働」ワークスペースの創造
社員とその家族、仕入先様、お客様、地域社会との
「響きあい 活かしあい 良き働きあい」が出来る空間の創造

想いと願い
昭和36年の現在地への移転以来49年の長きにわたって操業してきた第1期工場、事務所を取り壊し、新社屋を建設いたします。
創業以来、90年。幾多の喜び悲しみ、苦難辛苦を乗り越えつつ経営者、社員とその家族、仕入先様、お客様、地域社会がともに「響きあい、それぞれの持ち味を活かしあい、お互いがよき働きを尽くして来ました。そしてIKUTAも良き人財が育ち、育て、育ちあい、お客様が満足をする商品やサービスを世に送り出してこれました。
そして今、経営の理念、方針に従い更なる個人の成長機会の拡大、会社の成長機会の拡大を目指し世に無くてはならない個人、会社になっていく一つの手段として新社屋を建設いたします。
コンセプトにありますように、この新たに生まれる働く空間が、社員及び関係者皆さんにとって、心響きあいながら、個性を伸ばし活かしやすく、良き働きあいがどんどん進み、独創性や創造性溢れ価値あるモノやサービスが生まれていく好循環の場になることを願っています。

2010年6月8日 社長記

新社屋
新社屋

2010年6月、生田社長が新社屋の建設を決断し、上記の文書が通達された。すぐに社長、稔専務をはじめとする社員数名と田中工務店の田中社長、デザイナーのごとうたまみさんらと「ワイガヤプロジェクト」という委員会を結成し、私は委員長を拝命した。
入社して10年間慣れ親しんだ社屋が無くなるのは寂しかったが、委員長として新社屋の建設に携わることができる喜びは大きく、どんな社屋が完成するか胸が高鳴った。
デザインにこだわる生田社長が抜擢したごとうさんという女性デザイナーは、私たち特に田中社長の想像を超える強烈な個性の持ち主で、ごとうさんと田中社長のぶつかり合いを解消するのが私の最初の任務だった。
中国の資材を多く使うことにしたのだが、ごとうさんはあくまでもデザインを優先し、田中社長は予算を考慮しコスト削減を図る。当然、主張は対立。双方の意見とも理解できるが、対立していては先に進まない。私は、ことあるごとに双方を説得し、その甲斐あってか、どちらも譲るようになり、対立はフェードアウトした。2人の対立には困ったが、その一方で資材の調達に何度も蘇州や上海へ行けたのは私にとって楽しい体験だった。

社長室の応接セット
社長室の応接セット

当時私たちが買い付けたのが、いまも社内で使われている床や壁のタイルをはじめ、社長室の応接セット、事務所や会議室の机、イスなど。ごとうさんの素晴らしいセンスと納得できるコスト、そして生田社長の願いと想いをかなえるための委員会メンバーの様々な働きが見事にコラボした逸品の数々といえるだろう。
また、事務所のレイアウトにはオフィス家具販売会社の京都のウエダ本社様と委員会メンバーが真剣に考え抜いたアイデアが採用されている。たとえば、プリンターと作業スペースを中央に配したのは社員同士の会話や交流を生み、仕事を円滑にするため。設計者の机にパーテーションがあるものを配置したのは、集中して設計に取り組む環境を作るため。4階にテラスや和室を配置したのは、リラックス空間を設けて気分良く仕事に取り組めるように。そして食堂は社屋の一番良いスペースを社員に使ってほしいという生田社長の想いから・・・ここでは語りつくせぬ想いがこの社屋に込められた。
計画から1年以上かけて新社屋は完成し、2011年11月にお披露目会が行われた。訪れたある会社の社長の言葉がいまも印象深い。

  • 社長室の打合せスペース
    社長室の打合せスペース
  • 3Fの打合せスペース
    3Fの打合せスペース

「私は社屋にお金をかける気はまったく無かった。しかし、この社屋を見て、そして社員さんの話を聞き、その考えは間違っていたことに気付いた。社屋建設は社長の思いを伝え、社員を成長させ、会社を成長させる素晴らしい機会だ。私も将来新社屋の建設を目指す。」
そして4年後、その社長は新社屋を建設。先進的な社屋として取り上げられたほか、新たな事業にチャレンジし素晴らしい業績を上げている。
社長の文書をもう一度見直してほしい。
新社屋コンセプトとしていちばん最初に書かれた「響働(きょうどう)」の2文字。最近はあまり聞かないが、「響働」とはお互いに心を響かせ合いながら仕事をすることを意味する。常に「響働」を提唱する生田社長がつくり上げた新社屋は様々な好循環を生み出すことで人が育ち、新たな製品を世に送り続け、着実に成長した。
完成当初は広すぎる印象だったが、今では手狭に感じるようになった。これが会社の成長、発展の証明であり、社長の想いと願いである。

中国
中国

大きな転機となったのは、2008年の中国への社員旅行。私は学生時代から中国に興味があり、大学時代に中国への長期留学を決めていたのだが、天安門事件でそれが叶わなかった。それまで中国へは何度か旅行しており、10数年ぶりに社員旅行で中国を訪問して自分の中の中国愛が再燃した。もう中国と関わることは無いと思っていたが、生田産機工業中国蘇州工場で働くスタッフと触れ合う中で、将来中国で働くことができたらどんなに素晴らしいだろうと思い始めた。
そして2010年、上海万博京都館での風力発電機出展とアンテナショップ開設。初めて仕事として中国へ行くために、パスポートを握りしめ、一人で上海行きの飛行機に乗った時の感動と興奮は今でも忘れることができない。

  • 上海万博(外観)
    上海万博(外観)
  • 上海万博(内部)
    上海万博(内部)
京ウィンド
京ウィンド

その後、子会社である株式会社京ウィンドによる中国事業をはじめ、様ざまなプロジェクトリーダーを任され、多くの貴重な経験を積むことができた。信用金庫のOLだった私がビジネスマンに成長し、入社時には思いもよらなかった彩り豊かで実りの多い20年を過ごすことができた。
今改めて振り返ってみると、何も知らない私に、社長が自由に仕事をさせてくれたことが何よりも大きい。
実は、私は教師一家に生まれ育ち、「人に頭を下げてお金をもらうような商売人にはなるな」という奇妙な考えを幼い頃から教え込まれた。そのせいか、お客様への対応が決して上手とはいえず、周囲を巻き込むチカラも不足していたかもしれない。そんな基本的な要素が欠けていた私のために、社長は周囲の環境を整え、困難に遭遇した際は陰でサポートし、自信をつけてくれた。
内心歯がゆい思いがあったことは想像に難くないが、そうした社長の行いが今の渡辺千裕をつくってくれた。私の人生を大きく変えてくれた社長に、感謝の二文字では表現できないくらいの恩を感じている。

  • 渡辺社長(近影1)
    渡辺社長(近影1)
  • 渡辺社長(近影2)
    渡辺社長(近影2)

さらに、社長は今後の大きな可能性までプレゼントしてくれた。
2021年6月、私は株式会社京ウィンドの代表取締役社長の職を拝命した。これまでは社長にいろいろ相談し、フォローしてもらったが、これからは私が責任を持って会社運営をしていかなければならない。
生田産機工業に入社して20年経ち、また新たなそしてこれまでで最大の挑戦が始まる。社長の想像を超えた大樹となり大きな花を咲かせるためにさらに尽力していく。

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