101周年記念
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I .. Iルで「場に対しても攻略し始めたのである。を学習し、中国の人々のニーズの多様性や中国人の日本製品に対する関心の高さ、および中国人企業経営者が日本的経営を学びたいという熱心さを肌で感じた。「何かこれらのニーズに応えることができないか」と熟考した上、二〇〇七年に新しい会社「株式会社京ウィンド」を生田産機工業の子会社として設立した。「京ウィンドは、京都という古い日本の都から吹いてくる優雅な風というイメージがありますから、事業内容としてはまず日本製、とくに京都の職人たちが作った高級な品物を中国の富裕層へ提供していくという貿易業務がありままた、中国進出をつうじて、生田泰宏は中国市場の特徴KUTAMAKNEAS」を設立し、ヨーロッパ市はあなたのお祖父さんとお父さんから多くの面倒をみてもらい、第二の親だと思っている。その恩がある。だから生田家には本当に感謝している。どうしても中国進出をやりたいのであれば、社長の決定に従うが、条件が一つある。それは私が中国に行くことだ。中国の会社が足元を固めるまで見届けてやりたい。』この話を聞いて本当に感動しました。彼は会社の一番年上者であり前社長の右腕として勤続四五年。全社員に尊敬されていましたよ。それまでは体を張って中国進出を阻止してやると、反発は一番強かったのですが、その発言で会社の風向きは徹底的に変わったのです。本当に助かりました」と、生田泰宏は当時の様子を語った。年長者の熱い言葉は社内の散乱した心をひとつにした。それから、生田泰宏の強力なリーダーシップのもとで、生田産機工業の全社員が力を合わせ、熾烈な競争が繰り広げられている中国市場に攻略し始めた。二〇〇一年に生田産機工業は上海営業所を設けた後、二〇〇二年に中国蘇州に単独出資子会社「生田(蘇州)精密機械有限公司」、二〇〇三年にも昆山に「昆山生田贸易有限公司」(現「苏州伊库达贸易有限公司」)を設立した。同時に、生田産機工業の主力機械製品も中国市場で着々と展開していき、現地を任された社長、社員の苦労は並大抵ではなかったが、全社員の一心団結と努力によって、生田産機工業は中国市場で足元を固めることができたのである。中国進出の成功はさらに社員たちの自信を高め、生田泰宏のグローバル的な布石は着々と進められてきた。前述した通り、二〇一五年一〇月にはイスタンブーす。そして日本的経営や日本の事業に関する考え方、文化などを世界へ新しい風のように発信し、諸外国の人々とコミュニケーションを推進し、相互理解を進めていくために、諸外国から経営者視察ツアーの受け入れや交流プログラムの企画と実施などの業務もあります。今は主に日本と中国との間で事業活動を行っておりますが」と、生田泰宏は子会社京ウィンドについて説明する。実際にも現在、生田産機工業グループの中国事業、トルコ事業、そして京ウィンド事業も国内外にかかわらず優秀な社員が主体的に運営できるように任されているのである。社長就任当初、強いリーダーシップで会社を引っ張ってきた生田泰宏は生田産機工業の諸事業とも順調に成長している現在、事業に対する考え方にも変化が生じたという。「事業は社長がやりたいからやるのではなく、社員がやりたいから社長はその実現を支援する。」と生田泰宏は言う。つまりこれまで、生田泰宏は強いリーダーシップをもって自身の夢を全社員の夢へと無事に化し、最前線に立ち全社員を引っ張り、イノベーション経営にやや消極的な社員たちに成功を体験させた。成功体験で士気の高められた社員たちが積極的に動いてくれてきた現在、生田泰宏は自分の立場を変え、全社員の背後に立ち、強力なバックアップをもって社員たちに対して強い支援をするようにしたのである。社員たちの高いモチベーションを維持するための戦略的な調整である。また、「疑人用いず、用人疑わず」のように、生田泰宏は社員たちを信用してその適性と可能性を最大限に引き出そうとしている。実際に現在、生田産機工業の中国事業も、京ウィンド事業も、033

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