生田宗宏 富子ご夫婦との出会い
私、中村衣代は昭和48年、モラロジーとのご縁を頂きました。
昭和50年ごろに、生田様宅に桃南モラロジー事務所が開設されました。
毎月開催される勉強会は難しい学問だなあと思いながら参加していました。
時が流れて、生田ご夫妻と集うことが楽しみになりました。
勉強会終了後は、ご夫妻の心遣いで、ビールにおつまみ、楽しい会話、時には
カラオケやダンスをしたり、ご夫婦は共に音痴でしたが、だんだんと上手くなられ楽しい集いでした。
昭和59年ごろ、中村家に大変な出来事が起こりました。
家族が大きな借金をして行方不明。生田さんに相談。夜中でも温かい心で受けてくださいました。生田社長は家族の行きそうな店を探し回ってくださる。警察、実家、会社の上司と方々に手を尽くしてくださいました。
家族は無断欠勤のため退職金は出ないとなりましたが、生田さんが旧知の議員さんに相談、退職金を頂けることになりました。
また弁護士さんとの協議にも毎回同席してくださり、借金返済の道筋を共に考えてくださりました。
奥さんにも、市役所にご一緒頂き会計室にて退職金の受け取りが出来ました。
会社の上司や、実家先も生田さんがこれほどにも献身的に他人ごとに一生懸命
お世話をして下さることに驚いていました。
奥さんはそんな私を元気づけるのに、よく夕食をご馳走になり、会社慰安会の二次会には必ず呼んで下さいました。また会社旅行のハワイにも連れてくださいました。生田社長の亡くなられる数か月前には、よく夜中にお客様と同席されている中書島のスナックに呼び出され「自分は疲れたので後はお客様のお相手を頼む」と帰宅されました。その後、5月に入院6月4日永眠されました。
奥さんと、永遠のお別れをする数日前の思い出です。
12月30日、生田家母屋の2階に贈答品が山積みにあり、好きなだけ貰ってとのことで、3回に分けて奥さんの車で運んで下さいました。
12月31日、白菜ぬか漬け、野菜をいただきました。
1月4日、生田社長の祥月命日のお参り、この時が奥さんのお元気な姿と最後の会話となりました。
1月10日、午前8時半ごろ、前田さんから電話がありすぐに生田家に行きなさいとありました。奥さんとの突然の別れ。茫然となりました。
中村衣代は生田ご夫妻の慈悲心、深い大恩に感謝しております。
本当に生田夫婦は私の命の恩人です。